有機ゲルマニウムについて

浅井一彦博士について

浅井一彦博士とゲルマニウム

浅井一彦博士(明治41年~昭和57年)は、当時の東京帝国大学法学部を卒業後、1934年に大倉組に入社し、ドイツ駐在員としてベルリンに派遣されました。しかし、間もなくして強度の神経衰弱に悩まされたため、見かねたドイツ人の友人が、当時の基幹産業であった石炭の採掘現場に案内したことが、石炭とひいてはゲルマニウムとの運命的な出会いを引き出すきっかけとなりました。

炭鉱で真っ黒になって働く人たちの姿に感動した博士は、心機一転退職して石炭の研究に打ち込む道を選び、ドイツの大学で石炭について学びました。そして終戦間際に帰国し、石炭産業こそが焼け野原となった日本へ復興をもたらすと考えました。

戦後、トランジスターの需要が急速に伸びる中でドイツでの研究生活を通して、日本の石炭にはかなり豊富のゲルマニウムを含んでいることを知った浅井博士は「石炭に含まれるゲルマニウムなら自給できる」と提言し、その研究開発を進めました。

水溶性有機ゲルマニウム(アサイゲルマニウム)の開発に成功

無機ゲルマニウムには動物の赤血球や白血球を増やすなどの生理効果を示すことが解明されていたため、博士はその薬理研究にも没頭していました。しかし、無機ゲルマニウムには顕著な生理効果がある半面、腎臓障害などの健康被害を起こすことが確認されました。そこで浅井博士は、ゲルマニウムを生命体に取り入れるためには、安全性の高い水溶性の有機ゲルマニウムでなければならないという結論に至りました。そして、1967年の秋、ついに世界で初めて安全性と有用性が確認された水溶性有機ゲルマニウム(アサイゲルマニウム)の開発に成功しました。

浅井一彦博士の略式年表

明治41年 3月30日、満州・大連に生まれる。
昭和7年 東京帝国大学(東大)法学部卒業。
昭和9年 大倉組に入社し、ドイツ駐在員としてベルリンに派遣される。
昭和12年 石炭研究のためベルリンのシャロッテンブルグ工科大学に入学。
昭和18年 ベルリンのシャロッテンブルグ工大鉱山治金科卒業、エッセン公立石炭研究所に入所。
昭和20年 7月帰国。12月に財団法人石炭綜合研究所創立。
昭和24年 研究員の一人より、石炭中のゲルマニウムの研究を提案され、研究の開始を決定する。
昭和28年 国際石炭組織学会に日本代表として出席、東大第二工学部及び九大理学部の石炭組織学講座を担当。
昭和31年 動物実験により二酸化ゲルマニウムの治療効果が確認されるが、体内に蓄積されることが分かったため、水溶性有機ゲルマニウムの研究を開始する。
昭和32年 各種の技術開発の業績に対し、紫綬褒章を授与される。
昭和37年 京大より工学博士の学位を受ける。
昭和42年 世界初、安全性と有用性が確認された水溶性有機ゲルマニウム(アサイゲルマニウム)の合成に成功。
燃料協会賞を受賞。
昭和43年 浅井ゲルマニウム研究所を設立。
昭和45年 水溶性有機ゲルマニウム(アサイゲルマニウム)の研究開発開始。
昭和50年 1月、ニューヨーク・アカデミー・オブ・サイエンスの正会員に推薦される。
9月、フランスで開かれた国際自然療法学会に招かれ、有機ゲルマニウムに関する講演を行い、反響を呼ぶ。(株)浅井ゲルマニウム研究所を設立。
昭和54年 6月、第1回ゲルマニウム研究会開催。全国の大学、研究機関の研究者とともに、本格的な有機ゲルマニウムの生物活性研究が開始される。
昭和57年 10月、永眠。

浅井一彦博士が創設した財団法人石炭綜合研究所は、アサイゲルマニウムの合成に成功した翌年の1968年に「浅井ゲルマニウム研究所」として再スタートしました。
現在も意欲的に人間の生命力や生体機能を見据えた「健康」を基本に考え、研究が続けられています。

  • 株式会社 浅井ゲルマニウム研究所
    函館研究所

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